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Octaviaジミ・ヘンドリックス ”Purple Haze“ ”Fire“のサウンド

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オクタヴィア

オープン価格

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CODE:RMOV

ジミ・ヘンドリックス ”Purple Haze“ ”Fire“のサウンド

ジミ・ヘンドリックスが、「Purple Haze」と 「Fire」で使ったモデルと同じ回路です。その他、「One Rainy Wish」、「Little Miss Lover」、「Little Wing」、「Machine Gun」でも使用しました。

金切り声のような、キーンとしたサウンドを作り出すために、ファズの上にオクターブ上のハーモニック・ユニゾンの音が混入します。特に12フレット以上を弾いた場合、効果的です。ファズ、ウァウ共に用いることで独特なサウンドになります。

ジミ・ヘンドリックスはファズとワウの後ろにこのOctaviaを繋いでいました。

スペック

ビデオ

サウンド

Nihon Electro Harmonix · Roger Mayer Octavia

Octavia / Octavio 歴史と開発

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ROGER MAYER WEDGE SHAPED OCTAVIA/OCTAVIO 1968-1969 MODEL SHOWN ABOVE

WEB上のBBS、フォーラムなどにはこの模造品、クローンがあのクローンより優れているなどと主張している方が沢山いらっしゃいます。しかしながら、困ったことにその大半は無知であるがゆえ、事実とは異なり誤っています。Octavia / Octavioについてその真実をお知りになりたいようでしたら、これからはじまるOctavia / Octavioの生みの親である発明者による真実のストーリーをお読みになり、その本当のヒストリーをお知りになってください。

まず第一になぜ、呼び名が2つ(Octavia / Octavio)あるのか、明らかにしたいと思います。その答えは非常にシンプルで、私(Roger Mayer)はOctaviaと呼んでいましたが、Jimiや他の数人はOctavioと呼んでいました。その時点ではまだ、製品化されたものではなく、そのボックスにもモデル名が表記されていたわけではありません。シアトルのEMPミュージアム*に展示されているものにはOctavioらしきモデル名が本体に表記されていますが、これは、他の誰かがレタリングシートか何かでラベリングしたものです。(写真をご参照ください。)

では、Octaviaについてその真実を明らかにします。

  1. 最初にレコーディングされたOctavia / Octavioサウンドは"Purple Haze" のギターソロセクションで、そのソロは1967年2月3日にレコーディングされました。そして、私がジミに始めて会った日は1967年1月11日のことでした。
  2. 最初のレコーディング(Purple Hazeのソロ)に使用されたOctaviaはEMPに展示されているものとは回路、トランスの種類が異なっており、また、ウエッジ・シェイプのボックスにも収められていませんでした。EMPに展示されているものは20ヶ月以上、後に製造されたもので、中枢となるコンフィギュレーションの要素は同様ですが、同一のものではありません。最初のレコーディングに使用された1号機はOctavia Evo 1とします。
  3. このEvo1ユニットにはゲルマニウム・トランジスタとフェライトトランスが使用されており、ドライブ能力に限りがありました。
  4. そのため、"Purple Haze" と "Fire" のレコーディング時には別のエンクロージャーに収められたゲルマニウム・トランジスタ使用のカスタムドライバーをEvo 1の前段に置き、充分なドライブ量を確保しジミが満足するようEQを施しました。そのようにして生み出されたサウンドがレコードから聴くことができるサウンドです。Purple Haze / Fire のレコーディング・セッションの後、Evo 1は使用されることなくゴミ箱行きとなりました。
  5. その後、ドライバーセクションとOctaviaセクションが1つの箱に収められるようになりました。
  6. ジミと私は絶え間なく開発と、実験を重ね、そこから学んだことを活かし、改良を重ねました。そのスピードはF1レースのごとく高速で、1年も経たないうちに15種以上のOctaviaが製作され、着々と進化を遂げました。
  7. ジミが使用したそれらのOctaviaはウエッジ・シェイプ・ボックスに収められたものではありませんでした。また、継続的に研究、開発を続けていたため、中には1週間程度の命のものもありました。シーズン中のレースカーの開発と同じようなものです。常に研究、改良が施され、進化続けました。同じシャーシ・コンフィギュレーションを使用することはあれど、多くのコンポーネンツが変更されました。
  8. 1967年"Axis Bold as Love" のレコーディング・セッションを始めました。このアルバムには当時、最新の改良版Octaviaがいくつかのトラックに使用されました。注意深く、聴くとお分かりいただけると思いますが、Octaviaのエフェクト効果とクリアーさがより改善されています。もちろん、同時にディストーション、ファズのアップデーティング、改造、製作にも従事していました。
  9. 1967年の終わりにウエッジ・シェイプのエンクロージャーをデザインし父のエレクトロニック・カンパニーにて5個程度がサンプル製作されました。
  10. 最新の改良版Octaviaがその新しいウエッジ・シェイプ・エンクロージャーに収められました。Octaviaはその時点においてもゲルマニウム・トランジスタとフェライト・トランスが使用されていました。しかしながら、はじめてフットスイッチが搭載されました。以前のものはスタジオワークでの使用を前提にデザインされており、フットスイッチは搭載されていませんでした。
  11. ウエッジボックスの初合機に使用されていたノブはEMPに展示されているものに使用されているノブとは異なるものでした。
  12. 私は1968年1月30日から1968年4月19日までジミのUSAツアーに帯同しました。このツアー中の数箇所の特別なギグで最初のウエッジ・シェイプ Octaviaが使用されました。そのOctaviaはカスタムメイドで代品があるものではないので、盗難防止のため、毎日は使用しませんでした。その当時、ステージからの機材の盗難は深刻な問題でした。そのため、ジミと私は常にOctaviaを我々自身で保管していました。
  13. 1968年のUSAウインター・ツアーの後、私は海軍研究所を離れオリンピックスタジオでレコーディングスタジオのコンソールやアウトボードなどのデザインと製作を始めるために英国に戻りました。もちろん、その頃もジミとは頻繁に連絡を取り合い、Octaviaの改良、開発は続いていました。当時、オリンピックスタジオまでOctaviaに関心があるとやってきた多くの有名ミュージシャン、バンドと会いました。
  14. 研究を重ねたことで、ステージでの使用を想定した場合、より耐久性と安定性に優れたシリコン・トランジスタとアイアンタイプ・トランスが使用したOctaviaの必要性が明白になりました。低ノイズのシリコン・トランジスタは室温の影響を受けにくくゲルマニウムより安定したパフォーマンスが得られます。またアイアン・ラミネーション構造のオーディオトランスはフェライトタイプの持つ優れた高域特性には及ばないものの耐久性の面では優れています。
  15. 1968年の終わり、ウエッジ・シェイプのエンクロージャーに収めたOctaviaを5台程度の、ディストーションを5台製造することにしました。
  16. EMPとTychobraheをから派生したクローン。
  17. 私が知るクローンは全てこのシリーズに由来したものです。そのOctaviaはNPN、PNPローノイズ・シリコン・トランジスタから成るドライバーセクションとアイアン・オーディオ・トランス仕様のものです。これらのユニットのバイアシングもスタジオワークを前提としていた最大24Vオペレーションから9Vバッテリーオペレーションに変わってゆきました。またこのシリーズにはEMPと同様のノブが使用されていました。
  18. このシリーズは1969年に完成し、以下のギタープレイヤーの手に渡りました。Syd Barrett - Pink Floyd, Steve Marriot - Small Faces, Peter Frampton - Small Faces. Keith Relf - Yardbirdsそして、当然 ジミです。
  19. 1969年5月にアメリカ人の妻とともにニューヨークに移り住み、スタジオ機器をデザイン、製作するRoger Mayer Electronicsを開業しました。そのときに、10台、製作したペダルの残り(2-3台)もニューヨークに持って行きました。もちろん、その時点でもジミとの関係は続き、Octaviaの改良、開発は継続していました。その時点での目的はトランスの除去でした。ジミと私はOctavia 最新evoと私がその当時、開発していたディストーションをRecord PlantやHit Factoryに持ち込みプレイし、研究を重ねました。
  20. クリスマスの後、1969年の年末にジミからフィルモア・イーストでのニューイヤーズ・イブのライブにOctaviaが必要との電話がありました。幸いなことに、Octaviaと前述の10台、製作したディストーションの残り1台を持っていたので、"Band of Gypsys"コンサートのリハーサルに持っていきました。そのサウンドはアルバムのMachine Gun などで聴くことができます。
  21. 1970年、ジミは極めて多忙でしたが、彼がニューヨークに来た際にはスタジオでOctaviaの最新改良版や新しい機材をジミに見せていました。
  22. 1970年10月Media StudiosでStevie Wonderとの作業中にジミの訃報が入りました。セッションはただちに中止されスタジオ内が悲しみにつつまれました。
  23. ロケットバージョンのOctaviaはジミが知る最後のバージョンでトランスを使用していません。 そして、そのトランスの除去がジミにに助けられ、また触発された最後の改良です。
  24. 上記の理由で私がこれまでウエッジ・ボックスのレプリカを製造したり、ロケット・ボックスを「"Purple Haze" や "Fire"に使用」と謳ったりしませんでした。EMPに展示されているウエッジボックスは決してそれらのレコードには使用されておらず、実際のところ、20ヶ月以上、後になって製作されたものです。1969年に製造されたウエッジボックスはBOGコンサートに使用されましたが、EMPに展示されているものとは異なります。
  25. Octaviaサウンドのスピリットは生きており、最新バージョンであるVision Octaviaは在りし日のジミとの思い出と彼の音楽に触発され、生まれた進化の他にありません。決して、確かめることはできませんが、ジミが最新のOctavia, Vision Octaviaを間違いなく気に入るであろうと確信しています。
  26. Tychobraheなどのクローンは1969年の24VオペレーションのOctaviaを基に模造されており、決してオリジナルに忠実ではありません。Keith Relfのものからコピーしたものです。

事実と結論

ベストで優れたサウンドのOctaviaをお求めでしたらOctaviaか、Vision Octavia以外にはありません。なぜならば、もし、トランスバージョンのほうがベターなようでしたら、間違いなく今でもトランスを使い続けています。もし、過去のデザイン、仕様のほうが優れているのであれば、リイシューをリリースします。クローンの中にはオリジナルのレプリカもありますが、中にはWEBや信憑性に低い出元の回路図などを基に製作されているものまであるようです。WEBなどで公開されている回路図は多数の間違いがあります。しかし、私は決してそれを、指摘しません。またクローンの中にはクローンとも呼べないようなベーシックフローをなぞった程度のコピーもあるようです。

“ANYWAY YOU LOOK AT IT I DESIGNED THE ORIGINAL”

END OF STORY

“THOSE WHO CAN INVENT DO”

“THOSE WHO CAN'T INVENT COPY”

* EMPミュージアム

米国シアトルにあるジミ・ヘンドリックス(常設展示)などポピュラーミュージック関連アイテムなどが展示されているミュージアム、施設。